9年前の3月の日記に繰返し書かれていたこと よく頑張りましたよ私!
引っ張り出した2011年3月の日記を、ぼんやりと拾い読みしています。読み進めていたら、あの当時の、テレビがずっと震災の傷跡や被災した方の状態を流し続けていて、見たくないけど情報が欲しいからテレビを消せなかったこと、ガソリンスタンドで大行列ができたこと、しょっちゅう緊急避難警報の嫌な音が鳴っていたことなども思い出しました。
あの頃は、この世の終わりが来たのかと思うほど、日々、暗い気持ちで過ごしておりました。
3月の日記の中で、何度も出てくる言葉がありました。おそらく、私が私に必死に言い聞かせていたのでしょう。ひとりでよく耐え抜いたと思います。
「おちつかなくて丁寧に掃除する」
「何も手につかない。かといって何ができるわけでもなく掃除する」とか「動いていた方が気がまぎれる」、「申し訳ない気持がして落ち着かない」。という文章が何度も出てきます。
元気が出ないし、楽しいことをしようとしても自分だけ楽しいことをするのも気が引けました。じっとしていることもできず、この時期には節電のため掃除機を使わず掃き掃除と拭き掃除をやたらとしていました。
「1週間分を用意しておけばいいのだ。備えておく」
計画停電が始まって以降、スーパーの陳列棚が空っぽになるのを目の当たりにして、強くそう思ったものでした。あの震災で「ローリングストック」をおぼえ、缶詰とか乾麺とかを余分めに買うようになりました。
今回、トイレットペーパー入手困難に遭遇し、生活物資に関して9年前の経験が弱まってしまったことを痛感しました。
人は不安になると、米とカップ麺とトイレットペーパーを買いだめしたくなるもののようです。備えて安心しましょう。
「首都圏は震度7に耐えられるように作られている」
強い余震が来るたびに、心臓がバクバクしました。事情が分からずおろおろする猫を抱え、部屋の中の柱が多そうな廊下付近で、余震をやりすごしたものです。あの当時、むやみに猫がなついてきました。
何とか「大丈夫」と思いたくて、呪文のように、人にも自分にもこの言葉を繰り返していた記憶があります。
震災から1週間後の3月18日には「(震災の日に運良く買えた)自転車をこぎながら見上げた空には二日月がとがっていたけど、今はふっくらとした月だ」と書いてありました。
あの日の夜、多摩川の陸橋の上から見た星は確かにきれいでした。
9年後の私は元気だよー、大丈夫だからね、とあの時の私に教えてやりたいです。