ぷちファミリーヒストリー 行ってみた編

『ファミリーヒストリー』みたいにいってみた
 さて、私が探していた「西巣鴨三丁目○○番地」ですが、地図を対比して番地をたどって調べてみると、現在の北大塚二丁目のあたりであることがわかりました。近くには、空襲で焼失する前の巣鴨警察署があったようです。

 さらに自分の調査結果の確認のため、豊島区役所に電話をして調べてもらいました。対応してくれた職員さんから、私の調査と同じ回答をいただきましたので裏付けもばっちりです。

 天気の良い週末に、現在の地図と昭和の地図とを見比べながら、大塚の駅から現地へ歩いていきました。都電と北上する表通りの位置も大きさも、戦前とほぼ変わりがありません。脇に続いている車が入りにくそうな路地も、おそらく昔のままなのでしょう。

 めざす住所にたどり着くと、表通りから少し入った住宅地で、現在は小さなビルが建っていました。周囲をぶらぶら歩いてみましたが、高い建物のない静かな住宅地で、1車両の都電がトコトコ行くのが似合う町です。
 ここで母が生まれ、空襲が激しくなるまで育ったのです。この狭い路地で、母が年の近い姉妹たちと遊んだ風景が目に浮かびます。車のすれ違いもままならないような、この狭い道は、きっと戦前から変わっていないだろうと思われます。

 この場所から10分も歩くと、とげぬき地蔵さまです。思っていた以上に近かったです。
 とげぬき地蔵さんは、今日も参拝者がいっぱいです。お年を召した方々だけでなく、若い家族連れやカップルも連れだって手を合わせ、お線香の煙を体にかけていました。屋台も出ていてにぎやかですが、おちついていて気持ちのいい場所です。

 お参りを済まして本堂右手の社務所に行くと、御影様を頒布しているのを見つけました。これです、これ。子供のころから見慣れた全く変わらない、少し黄身がかった紙の包みの素朴な味わいに胸が熱くなります。ずっと変わらずにいてくれるものの確かさに、ほっとします。

 母はお地蔵様の小さなお札に、私への期待と愛情をのせて、のませてくれました。その祈りが、今の私をつくってくれたのです。こんな感じの仕上がりですが、いかがでしょうか。

 来月のお彼岸には、母の墓前で、現在の「西巣鴨三丁目○○番地」の姿と、とげぬき地蔵さまが令和の時代に大人気スポットとなっていることを報告しようと思います。